トップページ | 2009年12月 »

人口について

総務省統計局の男女別人口・人口増加及び人口密度(明治5年~平成18年)(エクセル:84KB)をベースに、人口増加と社会状況を見比べて考察します。

「女性は産む機械」などと主張するつもりはありませんし、これによって自分自身がどうこうということもありません。また戦前は日本国籍であった在日コリアンについても触れていますが、私自身にはなんら差別的感情はありません。感情や心理はひとまず横に置いて、出来る限りロジックだけで考えたいと思います。


まずは人口の推移についてざっと見てみます。

【日清戦争・日露戦争】
日清戦争のあった1894年以降、ほぼ10%の人口増加が見られます。日露戦争のあった1904年〜05年で、一時的に10%を下回りますが、海外への人口流出の影響によるものと考えられます。


【インフルエンザ】
1918年には人口増加率が5%台まで割り込みます。出生数の推移には変化がなく、死亡者数が約30万人増加してしています。これはインフルエンザのパンデミックが大きく影響していると考えられます。


【世界恐慌】
1929年の世界恐慌から10年間は人口増加率に大きな影響はありません。「100年に一度」の不況が人口増加率にあまり影響を与えていない点は注目すべき点です。


【日中戦争】
1937年の日中戦争以降、人口増加率が10%台を大きく割り込みます。出生者数が1936年の水準に戻るのが太平洋戦争開始の1941年です。当時の政府も人口増加が鈍化することに危機感を感じていたようです。有名な「産めよ増やせよ」というスローガンは、1941年1月の閣議決定を受けて作られたとのことなので、12月8日開戦の太平洋戦争は「産めよ増やせよ」の直接要因とは言えません。


【太平洋戦争】
1941年から1944年まで、出生者数は日中戦争前を維持しており、死亡者数も大きな変化はありません。人口増加率が大きく変化しているのは、「社会増加」つまり海外に流出したり海外から流入した人口の影響です。

注目すべきは1943年に人口流入が増えているという点です。1942年と1944年の人口流出が50万人弱という点を考えると、戦争は継続しているので戦時中の日本(内地)に50万人程度の人口流入があったことを数字は語っています。

この要因は1942年の朝鮮総督府朝鮮労務協会による労務者斡旋募集が影響していると考えるのが妥当でしょう。本題からそれますが、朝鮮人に対する国民徴用令が閣議決定されたのは1944年8月なので、斡旋募集が自由意思、徴用が強制連行とするならば、数字から判断する限り、強制連行はごく少数であったと考えるのが妥当でしょう。


【終戦】
1945年は日本の人口が減少しています。前年に比べて死亡者数が70万人増えており、インフルエンザの2倍以上の甚大な影響があったと言えます。自然増もマイナスになっていますが、それよりも140万人という人口流出の影響の方が大きく出ています。これは日本国籍から朝鮮半島に戻った朝鮮人だと思われます。

参考までに「進め!一億火の玉だ」という戦時中の標語がありましたが、戦時中の内地の人口は7200〜7400万人なので、「一億人」には日本国籍であった約3000万人弱の朝鮮人が含まれているのでしょう。


【団塊の世代】
1947年から1950年まで出生数が増加します。いわゆる団塊の世代です。戦時中の出生者数に比べて10%〜20%くらい増えています。人口流入は1946年に約350万人、47年に約100万人、48年に約30万人となっており、これらは海外からの引き揚げや戦地からの復員によるものと考えるのが妥当でしょう。


【ポスト団塊世代】
1951年にようやく戦時中の出生数(約220万人)に戻り、1961年まで減少を続けます。この期間の出生者数は、日清戦争から第一次世界大戦の頃と同じ水準です。この世代の親は「昭和ヒトケタ」が中心だと考えられます。


【丙午の前後】
1962年から再び出生者数が増加に転じます。ただし1966年は「丙午」の迷信から、出生数が減っています。この世代の親は日中戦争〜太平洋戦争の間に生まれた世代が中心で、「夫婦子供2人」というモデル世帯が増加した時期と合致します。


【団塊ジュニア】
1971年から74年に出生者数が200万人を回復します。団塊ジュニアの出生者数は大正末期と同程度の出生者数です。大正末期との決定的な違いは死亡者数です。大正末期には毎年120〜130万人が死亡していましたが、団塊ジュニアが生まれた頃の死亡者数は70万人前後と、約半分近くに減っており、これが人口増加率を高める結果となっています。


【団塊ジュニア以降】
1975年以降の「昭和生まれ」は、毎年減少を続け、平成元年には130万人を下回り、平成18年には109万人まで減少しました。平成元年の頃の出生者数の水準は日清戦争頃、平成18年の出生者数の水準は1880年代前半、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任した頃と同じ水準です。


ここまでは数字の変化を見てきました。ここまでで私が注目した点は、太平洋戦争中の出生者数増加と人口流入の2つです。

(1)太平洋戦争中の出生者数増加

これには「産めよ増やせよ」のスローガンの下に行われた政策が功を奏していると考えるべきでしょう。閣議決定による政策のうち、出生者数増加施策は次の通りです。

 (イ) 人口増殖ノ基本的前提トシテ不健全ナル思想ノ排除ニ努ムルト共ニ健全ナル家族制度ノ維持強化ヲ図ルコト
 (ロ) 団体又ハ公営ノ機関等ヲシテ積極的ニ結婚ノ紹介、斡旋、指導ヲナサシムルコト
 (ハ) 結婚費用ノ徹底的軽減ヲ図ルト共ニ、婚資貸付制度ヲ創設スルコト
 (ニ) 現行学校制度ノ改革ニ就キテハ特ニ人口政策トノ関係ヲ考慮スルコト
 (ホ) 高等女学校及女子青年学校等ニ於テハ母性ノ国家的使命ヲ認識セシメ保育及保健ノ知識、技術ニ関スル教育ヲ強化徹底シテ健全ナル母性ノ育成ニ努ムルコトヲ旨トスルコト
 (ヘ) 女子ノ被傭者トシテノ就業ニ就キテハ二十歳ヲ超ユル者ノ就業ヲ可成抑制スル方針ヲ採ルト共ニ婚姻ヲ阻害スルガ如キ雇傭及就業条件ヲ緩和又ハ改善セシムル如ク措置スルコト
 (ト) 扶養家族多キ者ノ負担ヲ軽減スルト共ニ独身者ノ負担ヲ加重スル等租税政策ニ就キ人口政策トノ関係ヲ考慮スルコト
 (チ) 家族ノ医療費、教育費其ノ他ノ扶養費ノ負担軽減ヲ目的トスル家族手当制度ヲ確立スルコト
 之ガ為家族負担調整金庫制度(仮称)ノ創設等ヲ考慮スルコト
 (リ) 多子家族ニ対シ物資ノ優先配給、表彰、其ノ他各種ノ適切ナル優遇ノ方法ヲ講ズルコト
 (ヌ) 妊産婦乳幼児等ノ保護ニ関スル制度ヲ樹立シ産院及乳児院ノ拡充、出産用衛生資材ノ配給確保、其ノ他之ニ必要ナル諸方策ヲ講ズルコト
 (ル) 避妊、堕胎等ノ人為的産児制限ヲ禁止防遏スルト共ニ、花柳病ノ絶滅ヲ期スルコト


(ハ)結婚資金の貸付、(ト)子供の多い世帯への負担軽減の一方で独身者への加重負担となる税制、(チ)医療費・教育費の負担軽減を目的とした家族手当など、現代でも通用する施策です。しかも過去に実施して効果を発揮していると言うことは、当時の給付額と物価水準を現代の物価水準で割り戻せば、効果的な給付額を算出できます。


(2)太平洋戦争中の人口流入

前述(1)が「少子化対策」であるなら、こちらは「移民政策」の参考となる事例です。

移民は、出生による人口増加に比べて「時間と人数」の制約がありません。仮に平均25歳の移民を99万人受け入れたとするなら、死亡率1%として25年前の出生者数が100万人増加したことと同様の効果があります。

一方で、移民には様々な問題もあります。移民受入のカギは「教育」と「治安」でしょう。これらのコストをなんらかの形で試算することは、移民政策を考える上で重要なことです。

まずは教育。移民を受け入れると言うことは日本人でない両親を持つ子供を日本人として教育するということです。そのためには「日本人のあるべき姿」を明示する必要があります。戦前には修身で「日本人のあるべき姿」を教えていました。内容の是非は議論しませんが、移民の受入に「日本人のあるべき姿」を教えることは必要です。また外国人子弟の教育のためには、当時の朝鮮にあった教育基盤と同程度の資本ストックが必要となるでしょう。

また教育は日本人の中身を作るものですが、具体的な「日本人の定義」は国籍になります。移民を受け入れると言うことは「日本人の子供が日本人」という血統主義では定義できなくなります。そのため外国人を受け入れるために日本人として別の定義を導入しなければならないでしょう。

しかし複数の基準による定義は社会階層を固定させる可能性があります。例えば移民の受入は経済発展が目的ですから、何らかの基準を超えた外国人を帰化させる形になるでしょう。この場合「基準をクリアして帰化した外国人の子供」「基準をクリアしている日本人の子供」「基準をクリアしていない日本人の子供」という3つの社会階層が出来上がります。日本国民を定義する段階で複数の社会階層が存在することは望ましい状況とは言えないでしょう。

教育の効果が出るのは、50年100年という単位です。100年後の日本の人口を見据えた上で、日本人の定義を見直す必要があるでしょう。

次に治安。移民の受入によって一番懸念されることは治安の悪化です。移民受入が治安悪化につながるという論拠は「生まれた国に逃げ帰れば日本の公権力の影響は及ばない」ことにあるでしょう。この論拠をベースに考える場合「本国に戻るよりも日本にいる方がマシ」という状態であれば、逆に治安は悪化しないことになるでしょう。この論拠に従えば、在日コリアンによる日本(内地)での暴動を、戦前・戦中、終戦から朝鮮戦争勃発、朝鮮戦争勃発後という区切りで分析することによって、移民によって増加する治安維持コストを試算することができるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

地方分権を数字で考える

地方分権は様々な文脈で語られるため、同床異夢と言う状況ではないでしょうか?

そこで地方分権の姿を数字で把握してみたいと思います。

県民経済計算という、統計データがあります。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h18/gaiyou1.pdf

今回の目的は都道府県の比較なので、概要1の名目値※だけで十分でしょう。(※名目値とは「その年の金額」を表したものです。これに対する概念が実質値で、これはある年の金額を基準として物価の変動を加味したものです。経済成長など時間軸に沿った動きで分析する際には実質値を使います)

まずは平成18年度の名目GDP(全国)を把握すると、512兆円。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h18-kaku/071226/point.pdf

ところが県民経済計算の概要1「表-1都道府県別県内総生産(名目、10億円)」の右上の表の合計欄を見ると519兆円となって誤差が生じています。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h18/gaiyou1.pdf

ここでは後者の519兆円を名目GDPとして採用して議論します。

まず特徴的なことは、東京都がダントツの金額だと言うことです。

東京都が92兆円で、東京都だけで実に18%を占めているのです。
東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県では164兆円で32%。
実に全国の3分の1が1都3県で占められているのです。

金額でグルーピングすると、

(1)東京(全国の18%)
(2)大阪、愛知、神奈川(全国の6〜7%)
(3)埼玉、千葉、兵庫、福岡、静岡、北海道(全国の3〜4%)
(4)茨城、京都、広島(全国の2%)
(5)5〜9兆円台(全国の1〜2%未満)
(6)5兆円未満(全国の1%未満)

といった感じです。


この経済規模が海外であれば「どんな国に相当するのか」を調べてみます。今回はイメージをつかむためなので、厳密なデータではなくざっくりとした数値の比較で構わないでしょう。

「2003 GDP」で検索したら、下記のサイトがヒットしましたので、これをベースに上記(1)〜(8)のイメージを描きます。
http://www.theodora.com/wfb2003/rankings/gdp_2003_0.html
※1ドル146円換算となりますが、円安の時期なので、厳密性には欠けますが妥当性のある数字でしょう。

経済規模に応じてイメージしやすい国をピックアップすると、こんな感じです。

(1)東京(全国の18%)
   → インドネシア、オーストラリア

(2)大阪、愛知、神奈川(全国の6〜7%)
   → エジプト、サウジアラビア、マレーシア

(3)埼玉、千葉、兵庫、福岡、静岡、北海道(全国の3〜4%)
   → ノルウェー、ベネズエラ、イスラエル、ナイジェリア、シンガポール

(4)茨城、京都、広島(全国の2%)
   → スリランカ、ミャンマー

(5)5〜9兆円台(全国の1〜2%未満)
   → イラク、ネパール

(6)5兆円未満(全国の1%未満)
   → 北朝鮮、カンボジア、ボツワナ


中央集権は「東京を牽引車として全国の生活水準を引き上げる」という発想です。一方、地方分権の究極の姿は独立国です。地方分権を議論するには、まずは独立国となった場合どんな生活水準になるのかをイメージすることが重要です。

東京に集まった法人税の奪い合いを「地方分権」と称しているのであれば、それは極めて中央集権的な発想と言えるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

貧困率の定義

「日本はアメリカに次いで貧困率が高い」と聞くと、「なぜ世界で1番2番の経済大国で貧困率が高いのか?」という、率直な疑問がわき上がります。

これは「貧困率」の定義が、世界全体ではなく「各国の中での所得のばらつき」を意味しているからです。言ってしまえば「所得格差が大きい」ということになります。

貧困率には「所得がこの金額を下回る場合に『貧困』である」と定義する方法と、「所得の中央値(平均ではなく0円〜○○億円の真ん中の値です)を基準として、その基準の○○%以下」といった定義をする方法があります。

前者を絶対的貧困率、後者を相対的貧困率と言います。「日本はアメリカに次いで貧困率が高い」という場合には、後者の相対的貧困率となります。

絶対的貧困率は、要は「これだけの所得がないと生活できない」という決め方なのですが、生活水準をどのくらいに設定するかによって大きく変化します。

一方相対的貧困率は「所得のばらつき」を示しているにすぎません。日本の定義では「所得の中央値の半分以下」を貧困と定義しています。

縦軸を人数、横軸を所得金額としたグラフで表すと、相対的貧困率が高い状態とは、「山の左側の裾野が高い」あるいは「山が左寄り」といった形になります。(山が2つあるケースや完全な「台地」などのケースもありますが、話を簡単にするために除外します)

例えば「低所得者層に対して政策的に所得を補填した」場合に、絶対的貧困率は低くなります。
これは一番左の裾野を削って、その土砂をより真ん中に近いところに積み上げるような形になります。

一方「高所得者層に対して所得税の税率を引き上げた」場合も、絶対的貧困率は低くなります。
これは一番右側の裾野を削ってより真ん中に近いところに積み上げるような形になります。

相対的貧困率は理論上ゼロにはなりません。限りなくゼロに近づけるには、グラフのイメージでは「土砂を真ん中に盛り上げて、そこから遠く離れた左右にそれぞれ砂粒がある」という状態です。要は「一握りの大金持ち、一握りの貧乏人、大多数の中流階級」という、いわゆる「一億総中流」という状態です。


では、なぜ絶対的貧困率と相対的貧困率という2つの考え方が存在するのでしょうか?

これは絶対的貧困率には「政策的な意図」が含まれている一方で、相対的貧困率は「意図に左右されずにばらつきを把握する」という目的があるからです。どちらがよい、悪いという話ではありません。この2つのツールを適切に使うことが大事なのです。

絶対的貧困率には、何かしら「善悪」の基準があり、その基準を下回る層が「ゼロ」になることが究極的な政策目標となります。ただし国家間での比較という指標には不向きです。

一方、相対的貧困率は数学的な「ばらつき」を表しているだけなので、国家間の比較には向きますが、政策目標(つまりどんな状態が「善」でどんな状態が「悪」か)の数値基準としては不適切です。

そのため相対的貧困率の客観的な定義で抽出された対象者を精査して、絶対的貧困率の目標を設定することが現実的な考え方です。そのプロセスは次の通りです。

(1)生活に不可欠な支出(以下「生活必需品支出」とします)を定義する
(2)相対的貧困率によって「相対的貧困」である対象者群を抽出する
(3)その対象者群の平均的な生活必需品支出の平均値(あるいは中央値、最頻値等)を算出する
(4)(3)で算出した基準に基づいて絶対的貧困率を定義する

生活必需品は、簡単に言えば「衣食住と子供の教育」です。外食・レジャーに対する支出は除外した方が実態を反映しやすくなるでしょう。

| | コメント (5) | トラックバック (0)
|

トップページ | 2009年12月 »